本日、我が家の下の子の3歳児健診へ行ってきました。上の子から数えて、なんと16年ぶり!!
思い起こせば、長男は16年前の3歳時健診(当時は横浜在住)で、言葉の遅れから経過観察になったのが、発達障害とのかかわりの始まりでした。月日の経つのは早いものですね。
健診の内容は今も昔も変わらなく、今回は 事なきを得ました。
ただ、係の方の問診が、地域の違いなのか、時代の違いなのか、発達障害が増え続けているせいなのか、はたまた私の回答が悪いのか、どこか心配なところがないかと厳しい追及にあってしまいました。(係の方の一生懸命さはとても良くわかります。)
子どものことを、問診表で「はい」・「いいえ」で答えるのは、子どもはロボットじゃないので無理が生じます。もしかしたら、(心配に値しないと伝えた上での)「こういう時もあるし、こういう時もあります」とか「その時によっては...」という回答が、係の方の追求スイッチをONにしてしまったのかもしれません。
係の方が安心できる回答は、わかっているのですが、安心させる回答をしたところで健診の意味がないと思い、質問に忠実に答えてしまいました。
そうすると、追求が続くので、「特に集中している時に、親の言う事をきかないことがあるのも、まだ3歳なのであたりまえだと思っています。」とか「時に、親に葛藤があることも、普通のことだと思っています。」という発言になってしまいました。
個人的には、子どもといえども、立派な人格をもった存在なので、私の思うようにならず、困難を感じる瞬間は、良くあることです(笑)。
それでも、その都度その都度、子どもに教えながら、そしてお互いの調和をはかりながら、親子ともに成長するのが子育てに思います。
要は、回答が「はい」なのか「いいえ」なのかの問題ではなくて、”バランス”とか”程度”の問題に思います。
健診では、もっと通り一遍の「はい」とか「いいえ」を求めていたのでしょうね。。。
よくある当たり障りのない通り一遍の話に、本質が感じられず、楽しくもないので、だんだんと、そういう話につき合えなくなってきてしまった今日この頃です。Yukie